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2010年6月

2010/06/21

本当は、行きたくない

各駅停車DX、細々と更新し皆様にご覧いただいておりますが、
5/8更新の「ひつまぶし」という記事が異常に高いアクセス数を叩いております。ありがたいことです。
そんなつもりで書いたものではないんですが…なんか、すみません。

学生時代の友人はほぼ結婚し、残っているのはミヤモトとハルさんのみとなりました。

そのうち半分以上は神奈川県に移り住みました。

在学当時からいろいろ面倒をかけていた、横浜市内在住のメガネさん家には、
長男が生まれたタイミングで自宅に乗り込み、ダイソンの掃除機を買い与えてやりました。

長男も結構大きくなったことでしょう。
次に行ったらミヤモトの顔と名前を覚えられるかもしれません。

そろそろ、またwiiをやりに顔を見に行こうかと考えています。

ただ、

ほんとうは、行きたくない。

ミヤモトが幼き頃、我が家には不定期的に謎のおっさん(今思うとそんなに老けてはいないはずだが当時はどう考えてもおっさんだった)が現れることがありました。

たしか、タカオというおっさんです。
たしか、タカオはミヤモトパパの友人だったと思います。
たしか、タカオはミヤモトママの知り合いでもあったようです。

タカオは、初台にある寿司屋の息子で(昔は違うところにあった気がする。その後初台に店舗を移し、その後つぶれた)、
その寿司屋にはたまに家族でご馳走をいただきに行っていたのですが、そのとき店にタカオがいることはありませんでした。
というか、ミヤモト家の誰もがタカオがその店にいるところを見たことはありませんでした。
店の大将(タカオの父。そもそもこの人がミヤモトパパの知り合いだったのだと思う)の話を記憶している限りでは、
タカオは寿司職人として根性がなさ過ぎて、修行を途中で投げ出して大将に見切りをつけられていた気がします。

タカオは、本当にある日、本当にふらっと我が家にやってきていました。
そして、かるーくミヤモトたち兄弟をからかった(実際は子供の扱いが分からないらしく、遊んでもらってるんだかなんだか分からなかったのですが)後、
当たり前のように夕飯を一緒にとります。

そして決まって夕食をとる過程で、ミヤモトパパがタカオに事情を問いただすのです。
お前、何しに来たんだ、と。

そして、大抵の場合、タカオはオンナ絡みで行くところがなくなり我が家に来た、と答えていました。
たしか、タカオは3回は離婚していたような記憶があります。しかも、一瞬の結婚生活を3回。
そんなタカオに、ミヤモトママが「あんたそんなんだからあかんねん」みたいなことを苦笑いで突っ込んでいました。
深刻すぎる空気に耐えられなかったのだと思います。

そして、タカオはそのまま居間で眠りにつきます。

ミヤモト少年は、翌日起きてから、タカオが布団で安らいでいるのを見てその事実を知ります。
ミヤモト少年はミヤモトママに尋ねます。

「タカオ、泊まったの?まだ寝てっけど」と。

ミヤモトママは若干やりづらそうな顔で、ミヤモトに「ヤツを起こせ」と命じます。
事情のある友人を泊めた手前、起こしづらいのでミヤモト少年をダシに起こさせるわけです。

ややあって、自宅で寝たかのごとくの寝ぼけまなこを伴い起床した後、タカオはミヤモトママになにごとかを唱え、我が家を後にします。

そして、運がいいとそのまま自宅に帰ります。

運が悪いと、どこかで時間をつぶした後、夕方頃にまた、ミヤモト邸へ戻ってきます。
そしてまた、当たり前のように夕食を一緒に摂ります。

たしか、最長で3泊くらいしたことがあったと思います。
3日目の夜にはいい加減ミヤモトパパが半ギレし、結構な空気になっていました。

この空気をもって、ミヤモト少年は悟るのです。

「こいつ、遊びに来たわけではないなっ」と。

ミヤモトが、小学校に入ったくらいから、中学出るくらいまで続いていたと思います。

今でも、当時のタカオの、人としてのあの感じは忘れません。
今でも、ミヤモトの心にタカオは生き続けています。

そんななので(特に小さい)子供のいる友人の家には、ほんとうは、行きたくない。

別にミヤモトは泊まっていくつもりは一切ありませんが、
突然遊びに行ってそのまま食事をし、酒を飲み、そして酔っ払った大人の感じを出していくのは
ミヤモトの中のタカオの姿を彷彿とさせ、そんな姿を子供が見ているのかと思うと、
生まれて数年のなるお(仮名)に土下座せんといかん思いに駆られるのです。

そして、そんな時、嫁がいればいいのになあ、と思うのです。
嫁がいれば、二人で遊びに行くことによってなんとなく大人の夫婦同士が語らう場としての成立を余儀なくされ、
そこに子供が余計なことを感じる隙を与えない気がするのになあ、と思うのです。

ただ、そんなアクセサリー的な考えで嫁を欲しがるから、嫁が来ないのだろうなあ、とも思います。

ミヤモトもハルさんも、まだもう少しは残りものでいるのだと思います。

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2010/06/19

今、伝説が。

 



35年の現役生活を経て、部屋のクーラーがついにぶっ壊れました。

今まで本当にお疲れ様でした。どうせならあと1ヶ月頑張っていただければよかったのに。お金がなくて買えません。





あいかわらず部屋の片づけをしているわけですが。


近頃は遺跡を荒らしたりせず、本棚やデスク周りに重点を置いて不用品廃棄キャンペーンを展開しております。


先日は10年以上保管されっぱなしになっていた音楽雑誌の切抜きを整理いいたしまして。

大分にいる妹がまだランドセルをしょっていた頃の伝説が蘇りました。


H1201018_002 H1201018_003

X JAPANのライブ特集記事です。

当然、今は亡き伝説のあの人も。

H1201018_000

これはねえ、ほんっとに貴重ですよ。

なぜならば、今は亡き人のいた今はなきバンド、ということもありますが、そもそもこのバンド、ライブやらないんです。


この特集は恐らく、最後のアルバムを出した後の全国ツアーの特集記事かと思いますが、この前に出したアルバムはなんと5年前。

つまりライブも5年前。


正確には毎年カウントダウンとかをやっていた気がするんですが、

雑誌で特集を組むようなでっかいツアーは5年ぶり。

この記事が96年のものなので、これを逃したら91年までさかのぼらないと同じような記事は出てこないはずです。


他にヒデさん関係だとこんなのも。

H1201018_010

これは恐らくソロのライブ記事でしょうね。


あとは、


H1201018_011

99年お盆の号、なんとファッション誌smartにラルクが。当時はちやほやされていたんですなー。


そんなラルクさんの発掘品はこちら。

H1201018_009 hydeさん。


H1201018_007 木村さん。


H1201018_008 リーダー。エヴァのTシャツが痛いです。



…あれっ?3人?


3人です。


以前のドラマーが覚醒剤取締法違反で逮捕され、活動を自粛し当該メンバーの脱退を経てリリースした復帰シングル発売時の特集記事がこちら。

この時は復帰シングルでドラムを叩いていたyukihiroさんはまだサポートメンバーだったため、3人での記事となりました。


因みに、撮影時はバンド内で既に正式メンバーとしての参加が決定していたため、yukihiroさんは現場に一緒に来てぼーっと見てたそうです。


なんでそんなに詳しいかというと、そのドラマーがつかまる前がすごい好きでしたので。

当然伝説も残っております。


H1201018_018

リーダー。まだ少しビジュアル的な面影が。


H1201018_017 木村さん。

木村さんは大学時代、就活を終えて勤め先が内定した後にラルク入りしたため、むかしっからいまひとつ追いついてない、中途半端なビジュアルをキープしておりました。

初期の頃はステージでファンに「お前なんかメンバーじゃないやい!引っ込め!」と物を投げつけられたりしたそうです。ビジュアルこえー。


H1201018_015 そしてhydeさん。伝説のフェミニンロングです。


H1201018_016 そして、伝説のドラマー桜澤さん。

謹慎解除後ラルクを脱退し、別のバンドのドラマーで再デビューを果たしましたがヒットすることなくフレームアウト。

「これで売れなきゃ音楽やめようかな、てつもりで」ラルクに入った彼、今は太鼓を叩いているのでしょうか。すごく好きだったのでなんとかやっていて欲しいです。

ちなみにこの写真は2ndシングル発売時の雑誌付録ポスターからです。95年くらいですかね。


あと、こんな伝説もあるんですよ。

だれか知ってる人いますかね?


H1201018_014

マリスミゼル、というバンドなんですが。

これはどうもシングルを出したときの広告のようなんですが、このバンド、


ガクトさんのいたバンドです。


ガクトさん、一人になって急に売れ出したんで知らない人多いみたいですが、このバンドで歌ってました。

ちょっとネットで検索して欲しいんですが、このマリスミゼルというバンド、ビジュアルがもうそれはすごくってアマチュア時代からかなり有名だったんです(フランス人形みたいな感じ、と言っておきますが、聖飢魔IIとかをイメージしてください)。

デビュー後、曲も結構売れてきて、さあこれから!というときに突然のボーカルの脱退。

ということで当時はちょっと話題になりました。この業界で。


その後マリスミゼルはボーカルなしの曲でアルバムを作ったり、がんばって精力的に活動を続けるもののやはり失脚。メンバーは散り散りになり細々と活動を続けているようです。



まあ、あとはこんなんとか。

H1201018_013


他にも椎名林檎の20歳のときの記事とか、デヴィッド・ボウイの50歳のときのインタビューとか、色々出てきたんですが既に相当長いので割愛いたします。



尚、今回紹介した画像につきましては各アーティスト並びにその所属事務所、レコード会社(当時のものを含む)にその肖像権等が帰属されますのでご注意ください。

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2010/06/13

本日の発掘品

パフュームに、プリンセステンコーみたいなのがいませんか?

本日の発掘品は私の部屋から出てきたものではないのですが、

大変興味深い一品でしたのでここにアップしようと思います。

Img_2207

30年前、我が家で使われていたカメラです。

なんとメーカーは富士フィルム(当時はFujicaというブランド)。思い起こせばこのメーカーはその後日本初のインスタントカメラを出し、富士カラーとしてその名をはせていくわけですが、これはそのインスタントカメラが出始める1世代前の、カメラ過渡期の製品と思われます。

Img_2209

どうですかこの、頑張ってる感満載の形!コンパクトに移行しようとして模索しているのが見え見えのレトロプロセス感。

機能面でも、フィルムは自動巻き取り、全然機能しないオートフォーカス機能、誤判定しかしないオート撮影モード(シャッターを押した瞬間『風景』とか『人物』とかを判別してくれる、という機能だが全く正しい判定をしない)、レンズ一体型構造、f値2.8固定38ミリレンズ(!)…と、明らかに迷いの見える中途半端なつくりです。

とはいえ、子供の頃、出かけるときには必ずこれをもっていき、時々いじらせてもらっていたのを覚えています。

ですので、久々にいじったシャッター音やフィルムを巻き取る音にものすごく懐かしさを覚えました。

多分、まだ壊れていないので写真を撮ることはできると思います。

が、もはや今のトイカメラのほうが使い勝手も性能もぐんといいはず。うーん、使ってみたいような恐いような…

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2010/06/08

私は帰ってきた



やべえ日清の為替取替えに行くの忘れてた!





さてさてさて。


本日の遺産発掘の時間となりました。

今回ご紹介いたしますのはこちら。


Img_1813

1/100 GP02A サイサリスでございます。

大砲構えたものの、アングルが正面過ぎて若干見づらくなっております。


なお、彼は以前紹介された1/1700の、あの彼です。

Img_17860


なお軽装時の様子はこちらです。

Img_1810

これはもう、ホントにホントに思い出深くって。


学生時代、プラモデルを本格的に始めるんだい!

と志してから何体か作って、手が慣れ始めたところでついに挑んだ、初めての本格製作品。


因みにモデラー(モデルというとなんだかステキジョブの響きがするのにモデラーというといきなり湿度が高くなるのは何なのでしょうか)がどういうフローでプラモを作っているのかといいますと。


①購入(店頭で箱を開けてパーツの色艶や枠との継ぎ目に不良はないかチェック)


②パーツとパーツをあわせる、「穴」と「棒」の、棒のほうを全て斜めにカット(後で取り外しやすくするため)。


③いったん組み立てる(仮組みという)

ここまで1日。


④腿はもう3ミリ長い方がいいのでプラ板で延長しよう、大砲のここは造りが甘いから自分で穴を開けるしかない、肩をもっと張り出すように作り直して強敵な感じを表現したい、いっちょパテと余った棒で関節を作り直そう、等の成形計画や、ここの赤とここの赤は原作を見ると少し違う。こっち側には若干深緑を入れよう、とか、ここのパーツは組み立てがこうなっているので塗るときはしっかりマスキングが必要だな!とか、こことここは塗ってから接着で問題ないぞ!といった塗装計画を練り、説明書に書き込んでいきます。

この工程だけで2~3日。


⑤プラモを分解し、書き込みに従ってそれぞれのパーツを成形。

これが半月~20日。


⑥パーツにうすーくパテを塗り、こまかくやすりがけ(出荷時に型から出したときの線や継ぎ目あとを消すため)。


⑦塗料作成(普通赤といっても「赤」の塗料をそのまま使うことはない。99.5%は複数色を調合して目的の色を作る)。この色にこの色を足したらいい感じになりそう、という流れで行うので失敗するとどんどん量が増えていく。

⑥・⑦で1日。


⑧塗装。

2日がかり。


⑨組み立て(接着)、完成。


と、大体、一体1ヶ月くらいかけて作ります。

スケールの大きいものになると、三ヶ月とか。

プロの人(プロ、つまりプラモを作ってお金をもらう人というのがちゃんといます)で、最長半年かけて一体、という人を知っています(しかもプロなので事務所の人30体制とかで)。

まあそんなんで作られたものはやはりアマチュアとは全然違うのですが。


このサイサリスも2ヶ月近くはかかってるんじゃないでしょうか。


頭と肩アーマーと脚はほぼ作り直してます。頭なんかパテの立方体を作って削りだしています。これで1ヶ月かかりました。


思えばこのときに失敗を何度も繰り返し「やはり人形は顔が命なのだなあ!」と感じたのでした。

今見ると後頭部ガタガタなんですが、出来上がった当時はとんでもない充実感で満たされたものです。


そんな彼も…



お蔵ーいーりー♪



あぼーん

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2010/06/05

世界に広げよう、ともだち(とか)の輪



「ほねとかわがはがれるおと」ではなくて、

「ほねとかわとがはがれるおと」でした。

大変申し訳ございませんでした。





学生時代の仲間で、Yという男がいます。


少年的なイケメンで、典型的な最近の学生みたいな男だったのですが、アパレル企業(しかも結構有名なブランドの)で企画を担当している今も、やはり典型的な30手前のおっさんとして現在も暮らしているようです。


昔は彼のそんな浮ついた感じがあまり好きではなかったのですが、意外とそんなスタンスでないと見れない視点があったりすることに気づいたり、なんというかそういう、俗な考え方というのが時に非常に全うであるということに気づかされたりしているうちに、大事な個性として認めることができました(要するに昔は極端に違う価値観が理解できなかったのだと思う)。

ミヤモトのように人道から大きく外れた個性の塊にとっては、彼のような人間はなくてはならない存在だと思います。


もし人間に優劣をつけるなら、私は確実に彼より上だ。

と、思っていたのですが、今となってはなかなか尊敬できる人間です。

オンナにやたら弱いのも、昔のアメリカ映画を見ているようでおもしろいし。



そんな彼も結婚して、毎日遅くまで働いたり飲んでたり女の子のいるお店に行ったりしていて、おかげで嫁がヒマなのかブログを開設いたしました。


この嫁というのが。


Yの大学時代の同期(つまりミヤモトと同期)の方だそうで、つまりはミヤモトの同期です。

ミヤモトは結婚式まで彼女を見たことはなかったのですが、

Yや周りの人間からは「知ってるらしいよ、おまえのこと」といわれていました。

ミヤモトそんな有名人だったかしら?


と思ったら、どうも挨拶くらいはしていることが最近発覚。やべー顔あわせづれー。


一応夫婦でのブログということですが、Yは毎日朝方に帰ってきたり、文章の下手さ加減を罵られやる気をなくしたりでほぼ現れず、もっぱら嫁ことSさんが更新しております。


とりあえず行ってみてください。正しいブログ、という感じで落ち着きます(ブログのタイトルはちょこちょこ変更されるようなので、ここでは非公開とします)。

ミヤモトもYにコメントするつもりが当然Sさんへの言葉となってしまい、あれよあれよで微妙な仲良しに。

ほんと、まともに話したことないのにすみません…


個人的には、なんだかふわふわしているけどしっかりしているお嫁さんという感じで、読んでいて安心するブログです。あれを捕まえたYはさすがだと思います。


url:http://yosaku11768.blog21.fc2.com/

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2010/06/03

日本人のしらない日本語

秋葉原に、「声優のたまご」という店があります。

声優を目指す女の子たちが働く飲食店で、新潟産コシヒカリに烏骨鶏の卵をかけて食べる、すごくおいしい「たまごかけごはん」を出すのですが、店内では女の子たちのライブ的なものも催されます。

歌声がガチで声優過ぎてビビります。

突然ですが、

Photo

この漢字、読めますか?

『今』っぽいけど何か違う…

正解は、『陰』の字の古語です。

漢字は、文部科学省によって一般的な社会生活における使用の目安として常用漢字が定められています。

そのほかの、普段日本人が知っていて困らないぐらいの字数と合わせて大体5000文字アンダー(常用漢字の数は現在モメている最中なのではっきりしない)といわれています。

パソコンなんかで普及している、JISの文字コード規格ではおよそ1万字ほどだそうですが世の中に多くある、字書(漢字を分類した辞典)の内容を補完すると、まだまだ日本にはとんでもない数の漢字があります。

『沈魚落雁閉月羞花』という、結構有名なサイト

(url:http://www.geocities.jp/f9305710/index.html)

では、こんな漢字が紹介されています。

Photo_2

Photo_3

これ、初見で読めたらなんでも言うこと聞きます。

②は、『きょろきょろみまわす』

③は、『ほねとかわがはがれるおと』

と読むそうです。

あのー、

③いつ使うんでしょうか…。

というかそもそも、骨と皮ってはがれるものだったんですね…。

漢字があるということは、この字を作る必要を感じた人がいたり、それに賛同したりした人がいたということでしょうか…。

具体的にどんな音なのかが謎に包まれている辺り、日本人の奥ゆかしさがあらわれていますね…。

と、まあツッコミどころ満載です。

完全にツッコミ待ちなんだと思います。

他にも、こんなのも。

Photo_4

これで、一文字。

これは日本で作られた、日本でしか通じない(いや日本でも通じないと思うんですが)、日本独自の“国字”と呼ばれるものです。

『おおいちざ(大勢の人の中で吐く、という意味)』と読みます。

これはまあ、なんとなくわかる気はしますが、

ただ、これでいいのならなんでもできますよ?

なんというか、漢字、奥が深い神秘文字なんですね、たぶん…。

こうしてみるとまあ、非漢字圏の人がアートとして捉えたり、Tシャツに「お手洗い」とか書いてしまうのも、分かる気が…しないか。やっぱり。

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2010/06/02

因みに祖母は2度経験しているらしい。



お金がないと部屋が片付かない、というレベルに達しつつある。





そんなこんなで、大掛かりな模様替えのため部屋の片付けを進めているわけですが。

またもや、部屋の奥深く(最近は遺跡と呼んでいる)から古代の埋葬品が発掘されました。

H1201018_001

昭和64年、1月7日。

裕仁天皇、崩御。

日本中が喧騒と静謐に包まれた、その日の讀賣新聞です。

確か、ミヤモトが小学校3年とか4年とかだったと思います。

1月8日、冬休みが明けて久々に登校した初日、黒板に大きく「平成」と書かれていて、

前日にTVの前で黙祷を捧げたミヤモトは

「そんなんやっていいんだったらミヤモトもやりたかったわー」

と、先を越された感でいっぱいになったのを覚えています。

改めてみると、ガンによるものだったという新たな事実を知ります。


当時は「天皇が亡くなった!」という事実しか把握しておらず、

それがどういうことなのかを良く分からず、

「次からは『平成』です!」と会見したのが後の小渕総理だということも当然知らず、

ただなんとなく、「世の中が変わるんだ」という認識でいたと思います。


ただ年齢に関わらず抱く、こういうある種の“世代交代を余儀なくされる認識”みたいなものを全ての国民が持つことが、

現実的に文化や技術が発展し、時代が新しくなっていくための一因でもあるのではないかなあ、 と、大人になった今は思います。



因みに、ミヤモトの妹は平成生まれなので、この様子を知りません。


それを知ってまた、こう言ってはアレですがなかなか貴重な体験をしたのだなあ、とも思うのです。


ひょっとしたら、大分にいる方の妹も、知らないのでしょうか。

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